悲しみを越えて
一昨日、亡くなられた妊婦さんのご主人の会見をたまたまテレビでみました。
安心して産める社会に=「誰も責める気ない」-死亡妊婦の夫が会見
終始、「誰も責める気はない」「彼ら(病院の医師たち)が傷つかないようにしてほしい」「傷ついて辞めたら意味がない」と淡々と語り続けたご主人の言葉に、私も心を動かされました。
今回、ご遺族は病院や医療システムについて非難し、糾弾し、悲しみをあらわにしても当然の状況であったと思います。
ご主人が一切それをせず、亡くなった奥様について「よくお腹の子どもに話しかけていました。信頼できる、優しい人でした」と語ったとき、私は、このご夫婦は、本当に今まで最大限、ともにいる時間を大事にすることができた方たちなんだ、と感じました。
やりきれなさや怒り、悲しみは当然おありでしょうが、それでも、人間は「自分は、最大限できることを行った」と思える時、意外に穏やかでいられるものです。ご夫婦は真に愛で結ばれ、お互いをできるかぎり大切にすることができたので、ご自身たちが過ごした時間についての悔いはなかったのかもしれない、と思いました。
もうひとつ、何か本当に世界を変えたいとき、変化を求め声高に叫んだり非難することはたいして効果がなく、その衝動をぐっとこらえて、このように本当に問題を直視しようとする態度を人が取るとき、世界はそれに耳を傾けるのだ、ということも感じました。
ご主人の「医師が傷ついて辞めて、産婦人科医が減ったら意味がない」という言葉はまったくの真実です。ご主人は個人的な悲しみを越えて、問題の本質を見ることができる方でした。
医療者としてこのご主人の言葉はとても救われるものでしたが、このような態度を取れる方はそう多くないし、また無理にはとる必要もなく、患者さんやご家族が悲しみや怒りをあらわにされてもそれをきちんと受け止めることができることも含めて医療者の仕事であると思っています。私もまだ不十分です。
構造的な問題は政府や自治体も含めて問題を直視し、動いていただかないと仕方ないのでここでは述べませんが、個人的には上記のようなことを感じました。ご冥福をお祈り申し上げると同時に、今後自分にも何ができるのかを考えていきたいと思います。
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