ばたばたしていてなかなかブログ更新ままならずでした(^^;)本日は新しい治療法のお知らせ・・・というわけではないのですが。
私のやっておりますクリニック・ロータスでは「芸術的な治療」をめざしています(^^)というのは、医療はテクニックだけでなくアートでもあるわけですが(外科にしても内科にしても、名医の技は芸術的なんです)、そのアートの部分て今まで軽視されていたと思うわけです。
でももともと人間はアートの部分がないと生きていけないと私は思っていて、医療にも「ひとりひとりが自分の人生の創造をしていくことを助ける」という視点が欲しいところです。なぜなら自分の人生が自分で創れない、と思うとき、ひとは病むからです。
という大仰な前置きはともかく。
私は短歌をときどき詠みます。何か感情が動いたとき、もやっとしたものを短い言葉にまとめると、すっきりするのです。
31音にまとめないといけないので、必然的に本質的なものをごく短い言葉であらわし、本質でない言葉を捨てるという作業をしなくてはなりません。これがとてもすっきりします。また、この57577のリズムで作るということがからだにいいのです。
自分に作った短歌を2つほど。
「楽になれ自由になれとみずからに鞭打ちし吾(われ)自由の奴隷」
これは、早くもっと自由な考え方ができるようにならなきゃ、思い込みを外さなきゃ、と焦っていたときに作りました。あるとき、自由になれと自分をむち打つんだったら自由になってないじゃん、と思ってはっとして、作りました。詠んでから、そうか自由の奴隷だったんだ、と思い、気持ちがラクに。
「時満ちて花開くようにおのずから為(な)るべきことは迷いなく為る」
いつも私は「これをするためにはどうしたらいいか」「私は最善の選択ができているのか」とずっと悩んでいたのですが、そんな風にむやみに考えこんだり悩んだり策を練ったりすることがほんとうに最善の結果につながっているのか、むしろ受け取れるものを小さくしていないか?と考えていたときに、買ってきたアサガオの花が開いたのを見て作りました。
植物は花を開かせようとしてうんうんうなって努力して開かせるわけではありません。そのようになっているから、ふさわしい環境でふさわしい時が来たら開かせるのです。そのように物事を考えてもいいのではないかと思いました。
短歌は以前は完全に自分のために詠んでいました。どうも古語の文法が自信がなくて人には披露しなかったのですが、先日の国際アントロポゾフィー医学ゼミナールの合宿で、医師仲間のために詠んだところ、結構好評で、しかも治療的効果があることがわかりました。
好評だったので味をしめ、最近、恥ずかしながらクリニックに来てくださったクライアントさんに詠んで贈るということを始めました。
名付けて「言葉の処方せん」(^^)。その方について私が感じた素敵な部分、美しいと感じた部分について、それがあらわれてくるために伝えたいことを短歌に詠んで贈らせていただいております。
自画自賛になりますが、結構これ、治療効果がある気がします。その人について私が受けた印象はどういうものか、私の感じたその人のもっとも素敵な本質、それがあらわれてくるために私はどういうことを伝えたいか、一番いい言葉を一生懸命考えます。
ひとつだけ気をつけているのは、必ずポジティブで、美しさを感じる言葉と内容にすることです。上の1番目の短歌は自分のために詠んだので「奴隷」とかネガティブな言葉を使いましたが、クライアントさんに贈る場合はそういう言葉は使わないようにしています(そのときどきにもよりますが)。
上の合宿で歌を受け取ってくれた人は、「こうして誰かが自分のことを考えてくれる、そのことがとってもうれしくて力づけられる」と言ってくれました。しかしこの、その人の本質について考えるという作業、実は治療者である私自身にとってこそすごくいいのです。ああ、自分はこういうことを感じていたのだ、こういうことを伝えたいのだということをはっきりさせると、すごく癒されます。気づきですね。
この作業で、やはり芸術には治療や癒しの特別な力がある、とはっきり感じました(ま、私の短歌の質はともかく^^;)。
というわけで「芸術的な治療」の一歩として、「言葉の処方せん」を始めました(「冷やし中華始めました」的宣伝ですが^^;)。
言霊は決してお薬に負けない治療効果です。むしろそれ以上かもですよ。みなさまも、使う言葉を変えてみるだけで、気持ちが違ってくるかもしれません。
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