メンタルヘルス

理解することの力

医師として仕事をしていると、家族や世話をする人たちから、病気の人の行動について「どうしたらいいでしょうか」とよく聞かれます。

そういうときに、私なりのその人の状態に対する理解を伝え、「ご本人がどのような気持ちでそうしているのか、よく観察して、考えてください」と伝えています。
本当にその人を理解するということだけで、病気が癒される力がそこに生まれてくるのです。

理解する、ということは結構難しいことです。理解できないから助けを求めているということもあるし、ご本人も自分自身の本当の気持ちを理解できているとも限りません。
場合によっては、「難しいなあ。お薬とかで何とかなればいいのに・・・」と思われる方もいらっしゃると思います。

しかし、どんなお薬よりも、また、やさしい、いい言葉をかけるよりも、「あなたを理解したい」という姿勢で耳を傾けること、これにまさる癒しはな いと感じています。いいとか悪いとかの判断をせず、「どのような気持ちでそうしたのか」「どうなっていきたいのか」ということを知ろうとする姿勢の中に、 ほんとうの愛が生まれてくると思います。

たとえば認知症の人たちの徘徊について。介護する人はとても対応に苦慮します。家にいるのに「家に帰る」と言って出て行ったり、訳もわからず飛び出したりして迷子になってしまいます。
「どうしたらいいでしょうか」と聞かれると、多くのドクターはお薬を出したり、「うーんむずかしいですね・・・」と困ったりしていると思います。
私はひとつの提案として、「一緒に出かけてみる」ことをすすめることがあります。一緒にちょっと歩いてみるのです。そうして、ご本人が何を探して何を求めているのか、理解しようとしてみるのです。
多くの場合、認知症の人は何かを求めて外に出て行きます。
それは自分の生まれ育った家や家族だったり、子供の頃仲がよかった友人の家だったりします。認知症は、自分の生きてきた歴史を失っていく病気で す。自分がどのように生きてきて、どのような人たちと交わり、どのような生活を刻んできたのか・・・つまり自分が誰なのか、アイデンティティを失っていく 病気です。認知症の人は、そのことに不安を感じています。だから自分のルーツを探しに行くのです。
そういうことを理解すると、認知症の人の問題行動を見る目が変わってくると思います。一緒に歩いてみると、その人が何を求めているのかが理解さ れてきます。頃合をみて、「今日はもう遅いから明日また行きましょう」と声をかけると、結構すなおに納得してくれるものです(しかもだいたい次の日にはそ の約束を忘れているので、催促されることはありません)。
もちろんいつもいつも一緒に出かけられるわけではありませんし、そういう対応は介護する人に余裕があるときに限られるでしょうが、有効なひとつ の方法です。施設の人からは、「いつもつきあっていたらきりがないのではありませんか?」とも言われますが、本人が安心してくるとそういう行動もわりと早 いうちになくなってくるので、永遠にそういう対応をしないといけないことはありません。
ご本人も「理解された」と感じると安心してくるみたいです。

「何もしてあげられることがない・・・」と思っても、もしそれに対しひとつのアンサーがあるとしたら、「その人を理解しようという姿勢で聞く」ということかなと思います。
そのとき大事なのは、「判断しないこと」です。いいとか悪いとか、責任とか無責任とか、好きとかいやだとか、そういう判断を入れずに、ただその人 が何を考えてどういう行動をとったのか、それをただ理解しようとつとめることです。そういう姿勢で聞くことは、確実に癒しの力を生みます。

なんてえらそうに書いてきましたが、私もまだ相手を理解するということがほんとうにはできていません。いつも根底にはもっているつもりなのです が、つい個人的な感情が出てきたりしてうっかり方向が違ってきてしまうことしばしば。自戒もこめてこのエントリを書いてみました。初心に戻りたいと思いま す。


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医師の理想的なありかた

  普通の病院で仕事をしていると、いつもは静かに聴ける患者さんの話が、内容やその日の自分の調子などによっては、心穏やかに聴けなかったりすることがあります。

自分の中に感情的な反応が起こるとき、それはその患者さんのせいではなく、だいたい自分の中に問題があります。なぜ私の感情が動揺しているのか、それにつながる自分の問題は何だろうか、といつもそれを考えるようにしています。

人智学者ルドルフ・シュタイナーは「治療教育講義」の中で、教師の理想的なありかたについてこのように言っています。

「たとえば行こうとするのに行けない子どもの態度に対して、教育者がすぐに共感や反感をいだくかぎり、どんなにわずかでもそれによって興奮させら れてしまうかぎり、有効な教育はできません。・・・(中略)人が教育者として表面的に語ったり、語らなかったりすることが、本質的にはどれほどどうでもい いことなのか、皆さんにはとても信じられないでしょう。教育者としての自分がどのような存在であるか、ということだけが本質的に重要なのです。
 しかしどうすれば、このような理解を持てるようになるのでしょうか。それには人間という存在そのものの不思議さに対して、関心を深めていくことです。」

ここではシュタイナーは教師のありかたについて語っていますが、これは医師にもそのまま当てはまることです。
もちろん適切な言葉を選んで患者さんに説明することは大事ですが、本質的には、医学的なことの説明よりも、その人の存在そのものに関心を持ち、理解しようとつとめる態度のほうがずっと大事なのだと思います。

この一節をいつも思い出すようにしたいと思います。

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